「僕シーナさんのお客さんて、なんか有名人の人とかタレントさんとかいそうな気がするんすよ。あ、聞きたいわけじゃないんですけど、そういう気がする、ってだけで。シーナさん、そーゆーの絶対バラさなさそうだし、お客さんとの秘密がいっぱいありそう」
スタッフさんにそう言われて、いや、そんな、いないですよ、と言ったときに、あのひとのことを思い出した。
ちょっと高そうなマンションに呼んでくれた、でもまだ20代半ばくらいのお客さん。
ひととおり終わって、タバコを吸いながら、急にこう言われた。
「俺のこと、知ってる?」
えっ。
無事にいかせたことで安心していたものだから、それはそれは、あせった。
彼の顔に見覚えなんて、もちろんこれっぽっちもなかった。
知ってるって、なにをだ。さっきはじめましてって、あなたも言ったのに。
むかし、別の店にいたときに会ってるのに、わたしが忘れてる?……それもないと思う。
そして、なにより、
どうしてそんなに「当然知っているだろうという口ぶり」で「知ってる?」と訊くんだろう!!
「わかんない?俺のこと」
「……んー?」
「……いちお、テレビとか、出てる、んだけど」
ああ。これは、もしかして、プライドを傷つけたかもしれない。あごの細い、整った顔が少し沈む。
今90分一緒に過ごした限り、悪い人ではなさそうだし、できれば淋しい気持ちにはさせたくないんだけど、どうしよう。
わたしは、細心の注意を払って、こう言った。
「ごめんなさい、……あたし、テレビ持ってないの、だから、たぶん……わかんないかも」
「マジでぇ!? な、なんでないの」
「うん、前にね、こわれちゃって、そしたら、買うタイミングなくなっちゃって、まあ無いならないでもいっかなー、って。それに、あたしにはゼイタクだと思うし」
ちょっとはずかしいように説明しながら、ああ、やっぱり、げいのうじんのひと、なのだな?と思い、もう一度アタマの中をくまなく探したけれど、やっぱり彼のことは、知らないのだった。
「そうか……いや、しょうがないよ、だって俺、売れてないもん、ぜんっぜん、ホント全然。あっそうだ○○くんのことも、知らない?」
そう言って彼は、携帯に入っている写真を見せてくれた。彼本人と一緒に写っている男の子は、ああ、確かに、最近テレビで見たことがある。イケメン系のタレントさんだ。フルネームを漢字で正確にと言われたら、自信はないけれど、だけど確かに知っている。
「うーん、分かんないかも。ごめんね」
「そっか、分かんないか……」
彼はわたしの方を見た。その数秒間で、「ああ、この子はやはり何かの事情で、だいぶまとまった金額が必要なのだろう、新しいテレビを買いなおそうという方向にもならない感じ、なのだろう」と、納得してくれていたのかもしれない。なんだこいつ、という視線でないことは、わたしにもよく分かった。
「俺、がんばるわ。君にもわかるくらい、すごく、なれるようにさ。……そしたらもっと長いコースで呼ぶよ!なんつって」
と言って携帯を閉じようとした彼に、待って、今の、もういちど見せて。とねだった。
「……んー。あなたのほうが、ちょっとかっこいいとおもう」
ウソをついた、とは、思わなかった。
「うそだあ、それはないわ、ははは」
照れて笑いながらタバコを消した彼は、手を伸ばしてわたしを抱き寄せた。
「でもありがと。君は変わった子だね」
変わってなんかないもん、と尖らせたわたしをつかまえて、強くて、格好を付けない、自由で正直なキスをした。
さっきまでベッドでからみ合っていた時よりも、甘いくちびるで。
そして「仕事、がんばってな。からだ、気をつけて」と言った。
わたしも同じことを彼に言ったと思う。
もしかしたら、あれからもっと活躍して、今ではわたしもよく知っているのだろうか。だけど2時間だけの記憶では、ずっと顔を憶えてはいられない。
名前も、迷ったけど、きかなかった。
いつか、風俗嬢に自分から名前を教えたことを、いやになってしまうことがあるかもしれない、と思った。今は裸のわたしに触れているから、いい子だなあなんて思えるだけだ。身体が離れて記憶が遠のけば、後悔するかもしれない。どこかで誰かにいいふらされる不安が、今はなくてもいつかある、んじゃないか。そう思ったら、言えなかった。
あなたは一体、だれだったんだろう。
今でもわからない。
ごめんね。
でもあの部屋でキスしてた時は、誰よりもあたしが、あなたを知っていたんだ。
コメント (Close):2
- 松田豊 10-03-13 (土) 11:42
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この場では「初めまして」です。
<「うそだあ、それはないわ、ははは」
照れて笑いながらタバコを消した彼は・・・・>その時の彼の気持ち,何となく分かります。
半分うそだと思っていて,うそでもそう言われるとうれしい。その気遣いがうれしい。もちろん,本気ならもっとうれしい。そんな気持ちだったのでしょうね。 - 椎名こゆり* 10-03-20 (土) 15:44
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松田先生!見に来てくれてとてもうれしいです。
そう、たぶん「あなたのほうがかっこいい」と言ったわたしのほうも、
その場にいる裸の彼に男の子としてのかっこよさも感じているんだけど、それ以外にもなにか応援の気持ち、あなたを肯定したいという気持ちも胸にあって、混ざっていたんじゃないかな、と思います。コメントくださってありがとうございます。わーい。



