- 2011-10-09 (日) 3:13
- 砂のノート
朝まで働いてくたくたになり、ベッドの中で最近好きなアプリ(みつばちになり花から花へハチミツを集め飛ぶという、運動神経をまったく問われない点がわたしに向いているグラフィックの美しいゲーム)をちょっと遊んで、眠った。
お昼ちょっと過ぎに目を覚まして、サイドテーブルのiPhoneを引き寄せてtwitterをぼんやりと見ていたら、そこに「ありがとう」という文字があった。いくつもいくつも、次々に。それで、ああ、その時がもう来たんだ、そういうことなんだ、と知ったので、公式サイトを開く前にじゅうぶん心の準備ができた。
わたしが初めてAppleの製品を見たのは近所に住んでいたお兄ちゃんの家でだと思う。パソコンというものは物々しくてかわいくないけどリンゴのマークはかわいい、と思った。高校生でG4を使うようになり、Mac OSは自分の性に合っているのかもと感じた。それからはずっとMacやiPod、iPhoneと一緒にいる。
だから、いろいろ素敵なものをありがとう、という気持ちももちろんあるし、あの気性の激しさとあどけなさや繊細さが同居したセクシーをとても魅力的だと感じてもいたんだけど。
わたしはスティーブ・ジョブズという人に、それとまたちょっと違う形の思い入れも、まったく勝手に持っていた。
似たような病気を持っている、という理由で。
病名はぜんぜん違うし、わたしの持っているものはずっとずっと大したことはない格段に気楽なものだ。痛みや苦労は比べものになりはしない。幸いここ数年は安定しているし、昨日も今日も自由にヘラヘラと生きている。ただ、治療していく中でとる方法や、生活に強いられる不自由の種類に、おそらくよく似た性質のものがあるのではないかなと思う、ということ。それに思い至って以来、なんとなく彼に対して「アップルのすごい人」以上の気持ちを持ち始めた。
子ども時代に別の病気を患ったとき、医師に「エリザベス・テイラーという外国の女優さんも、同じ病気になったことがあるらしいよ、だからあなたもきっと美人さんになるからがんばれ」と力技で励まされたことがあった。言葉にするのは難しいけれど心の重荷がいくらかおりたことを覚えている。そうか、わたしもがんばって大切に治してゆこう、ではないけれど、そんなような不思議な気持ち。
名前しか知らなかった大女優よりももっと身近にそう思わせたのが、愛用するAppleの恰好良いCEOだった。
調子が良くなくて気分がささくれているときや、病院のベッドで不安な時間を過ごしている間。傍らにあのタートルネックを着たジョブズがあらわれて「それ痛いよね。わかるわかる」とニコニコする姿を想像して時をやり過ごしたことがある。病院では圧倒的に時間がゆっくりと進むもので、その遅さといったら普段の1割もないのではと思うほど遅いものだからひとり遊びができなくては辛い。
そして本物の彼の姿を見る機会には(もちろんインターネットでだけど)、黒いタートルネックに包まれたそのあたりをなんとなく見つめてしまった。ここにもあの痛みが、いいえきっと何十倍もの忌々しい痛みが襲ったことがあるんだろう、とつい想像してしまった。もうできるだけありませんように、ずっと穏やかでありますように、と祈ってみたりもした。まったくばかげているとわかりながら。
こんなに圧倒的な人であっても病気は等しく襲ってしまうんだなあ、という当たり前にも程があることを考えたりもした。「自分もいつかは死ぬのだと思い出すことは、失うものなど何もないと気づかせてくれる最善の方法だ」という彼の言葉とともに。
この先もしもひどい発作があってうんうん唸っている時、今度は空の彼方からジョブズ(みたいな鼻持ちならない人)がやってきて「お、やってるね」と言ってくれる、そのくらいの余裕がわたしにあったらいいなあ。おいしそうなリンゴをひとつ投げてくれて、でもきっと運動神経のないわたしはそれを受け取れず床に落としてしまうだろう。眉をひそめて「下手くそ!」と怒られる。そうだったらいい。
世界中の人が悲しんでいて、その景色で彼が単なる経営者とはぜんぜん違う人だったんだとあらためて実感した。本当に、ロックスターのお葬式のよう。知らない人には何事だろうと思われながらも、初めて会ったけれど同じことを想っているとよくわかってる大勢の人たちと、一緒に街へ出て悲しみを口にする、とても淋しい中ででも少しずつ何かを埋め合う光景。
ほとんどの人は実際に彼と対面したことなどありもしないのに、それでも「もう二度と会えない、二度と分かち合えない」悲しみが、確かに強くそこにある。
愛されて旅立った人を見送るためには、残された人々がともに泣いたり「悲しいですね」と語り合える場所がかならず必要なのだと思った。わたしの場合は今回それがiPhoneだったので、何から何までお世話になってありがとうございます、と言うしかないよ。
あまりに規模が大きいから、悲しみの力をあまりよくないことに使おうとする人が出てしまったり、ご遺族の悲しみが邪魔されないといいなと思う。もっともっと一緒にいたかっただろうと思う。
それから、彼の存在に勇気づけられていたたくさんの患者さんたちが、どうか力を落とさずにいられますよう。
Thank you, I will miss you.

