砂のノート Archive
文章にして残しておきたかったことなど夢について:白い塔の子ども
- 2011-06-08 (水)
- 砂のノート
子ども時代、くり返し見る夢がわたしにもあった。
何度も何度も見る夢の定番は、きっと「何者かに追いかけられる夢」と「落っこちる夢」だと思う。どちらも、絶体絶命もうだめだ、ってところで目が覚める、っていう、あれ。怖い夢を繰り返して見ることは子どもによくあるようだけど、脳や精神の成長となにか関わりがあるのだろうか。いつのまにか見なくなって少しさみしかったり、とうに大人になってから不意打ちで一度だけやってきたりというのも、夢の「スパルタ教育」によく見られる手法のようだ。
わたしの場合は、塔のてっぺんから落っこちる夢だった。たしか、小学校にあがってすぐのころから見始めたんだったように思う。何度も見たけれど、それは怖いものではなかった。
どのくらいの高さだったかよく覚えてはいないけれど、何の柵もない白い塔のてっぺんから下を見ていた。静かで、落ち着いた光景だった。ふと空中へ足を出した。怖さなどなかった、落ちるかもなんて考えもせずただ一歩前に出ただけだった。
そして身体は落下した。真っ逆さまには違いないのだけれど、そのスピードはごく遅くて、わたしはふわりふわりと徐々に地面へと近づいてゆく。落ちている最中には仰向けだった。ほとんど平行な状態で、落ちるというよりも空気の中を沈んでゆくような感覚。——このままだとどうなるのかな。高いところから落ちると死んでしまう、ということくらいは知っていた。でもやっぱり怖くなかった。あまりにも気持ちのよいひとときだったのだ。
やがて、まもなく着地だと自然にわかった。少しは緊張したんだと思う、けれど衝撃はなくわたしの身体はそっと、羽毛のようにやわらかなクッションに受け止められた。あ、痛くない。やったぁ。そう思ったところで、スッと終わった。目覚めたわたしは単なる敷き布団に抱かれてそこにいた。
カーラー巻いてなくてよかった
- 2009-11-12 (木)
- 砂のノート
遅番で働くようになって、ネット通販をよくつかうようになったんだけど、 宅配便の人との相性ってある。
まったくの他人に、住所と名前と顔を一度に、しかも実物で、見られちゃうことってほかにそうはない。 女の人はとくに、気になるよね。
むかし住んでいた家に来てくれてたある運送会社の人が、 きっとたいした悪気はないんだろうけれどいつも、こちらの顔や服装をじっと見る人で。
なんだろう、ただ見られるだけなら一瞬の緊張ですむんだけど、 いやな言い方をすると、値踏みされてるような、そんな気持ちにさせられた。
まるで仕事中のような…。
いつも、ドアを閉めて完全に玄関の外で応対してた。 自分を越えて部屋の中に視線がおよぶ、あの感じもどうしても耐えられなかった。 「宅配便の人」じゃなくて、「男の人」に見られてる気がした。
夜中のドライブ
- 2009-08-02 (日)
- 砂のノート
やっている人にはものすごくわかってもらえると思うんだけど、この仕事にはめちゃくちゃに波がある。
ひっきりなしにお客がついてヘトヘトになり、疲れきって泥のように眠る日もあれば、さっぱり電話もかかってこない、お菓子をつまんでテレビの深夜番組をながめるくらいしかすることがないような日もある。
その日は本当になにもない日で、女の子たちの何人かはもう見切りをつけて早々と帰ってしまったから、事務所の中はしーんとしていた。
わたしはテキパキと帰り支度をする気力もわかなかったので最後までいたのだけど、「もう、今日は閉めちゃおうか」と店長が言ったので、送ってもらうことになった。
その店の店長はまだたぶん30代半ばくらいの、ちょっとコワモテだけど真面目な人だった。
わるい遊びを知らないで来たまじめさではなく、若いときにそれなりのいろいろを経た人にしかないような、骨っぽくざらついた真面目さだった。初めのうちは少しとっつきにくい人なのかと思っていたけれど、あまり感覚が離れていないことがわかって、お互いにわりとすぐ話しやすい存在になったような気がする。
好きなお笑い芸人だとか、好きじゃないコメンテーターだとか、そういうものがとても近かった。
なつのにおい
- 2009-06-09 (火)
- 砂のノート
内臓の病気を持っている。
それは自分にとってはもうあたりまえのことで、外から見ても判らないし、少しの痛みとか不便な制限とかなくはないけれど、いつでも意識しながら過ごしているわけじゃない。
だけどいちおう、特定疾患(国が指定した難病みたいな)のひとつなので、たいしたことないわよと思い込みながらも時々神妙に付き合うときもある。
その病気の、とても権威ある先生に診てもらったことがあった。
夏で、暑い日で、でも検査のために前の夜から水もとらないでいて、ぼんやりした頭で出かけた。病院の中は強すぎない空調がきいていて、看護師さんが体にかけてくれた薄いタオルがかすかにあたたかく感じた。
「気分が悪くなったらすぐにおっしゃってくださいね。」
先生は60代くらいの、柔らかな人だった。彼に診察されるために、ホテルをとって遠くの県からやってくる患者さんもたくさんいると聞いていた。
大きなモニタに映し出されているのは自分の中身のはずなのだけれど、だけど当然何がなんだかよくわからない。でも先生が時おり画面を指して、「これが胃」「ここが肝臓のふち」と言ってくれると、ああこれは人の内臓の1セットなんだ、とわたしにも見え始めた。
「ここがね……正常な状態だと、もっと、こういうふうになっているんだけど」
もにょもにょと動いている、自分の内臓。
あの、覚えがある痛みの所在地。
それを画面のこちらから、ああ、こんなふうにだめなんだ、とまっすぐに見る行為は、すごく不思議なものだった。
今も動き続ける不良品を、お腹の中に入れながら、ああ、たしかにだめだわ、と思っているのも自分だった。
これが、あなたの、欠陥ですよ。
そういわれたみたいな気持ちになって劣等感めいたものを呼び起こされながら、誰か別の人のカルテのような気にも、なぜかなった。
ホーム > 砂のノート

